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2006年11月16日

JASAG in KYOTO

去る11月11日~12日に、立命館大学衣笠キャンパスにて
日本シュミレーション&ゲーミング学会が開催されました。

急速に秋深まりつつある京都は、
日本中・世界中から集まる観光客の熱気で溢れかえりつつも、
11月とは思えない冷たい風が私を迎えてくれました。

今回はじっくりと学会を見る余裕があったので、
ほとんどの時間どこかのシンポジウムやセッションに参加できました。

そこで聞いたこと、思ったこと感じたことを…。

■■■

まずはじめのシンポジウムで、
海外での教育場面でのゲーム(=シリアスゲーム)の今について、
加えて、アメリカでのアフタースクール活動(日本で言えば学童的なもの)について
報告があった。

両者とも正直目新しい話ではなかったが、
何点か面白い話はあった。

どうやらこの学会関係者?の間でも、
ゲーミング(シミュレーション)という言葉と、
シリアスゲームという言葉の定義は統一見解がもたれていない。

まあもちろん、使う人によって言葉の定義もかわるし、
同じことを示していても違う言葉を使う人もいるので、
仕方のないことかもしれないが、そのことで不要なコミュニケーションロスを
生んでいる気がする場面が見られた。

古い言葉がなじまなかったので、新しい言葉を引っ張ってきたものの、
やはり古い言葉さえ理解できたのか、
一般化させられたのかもわからない状態では、
新たに言葉を作って(というか海外から持ってきて)も
さして効果的ではないのかもしれない。

当の自分もわかっていない。
好きな言葉を使えばいいのではないかとも思うが、
言葉尻にとらわれていては、中身については何も進まない気がするので、
深く論議する部分ではないのかもしれない。

「教育」と「学習」という言葉のスタンスや使われ方の違いについて、
も先生方で意見が分かれる場面があった。

教育=教育側 : 育まれる側

という関係はもうすでに古い意識である、と。
ゲーミングを利用した授業で使われる場合の「教育」は、
両者の成長が根底にある。
そういう意味では、「学習」という言葉を使うことがふさわしいのではないか、と。

ちなみに、授業はすべて教材ありきではなく、
いかに教材をうまく活用できるかという、「授業設計」にかかっている。
こう、現場を代表する先生は語られた。

これは確かにその通りで、
どんな良い教材でも、それを十分に生かす時間・先生の準備・生徒の理解がなければ、単なる面白いゲーム(教材)になってしまう。
逆に、どんなに単純なゲームであっても、
その授業設計によってはすばらしいものになる可能性もある。

そういう意味で、授業に取り入れやすいゲーム、
先生が設計・運営しやすいモノを作ることは、
デザイナーとして現場から求められている大きな部分かと思う。

■■■

立命館の国際関係学部の学生が運営する授業「GSG」の一部を体験した。
簡単に言ってしまえば、あらゆる場面での国際間交渉を、
長期的・大規模的にPCやネットワークを介してシミュレーションするもの。
交渉に用いられるキーワードは、
・二酸化炭素排出量
・排出権取引
・環境
・開発

(実際には「核」なども絡んでくるらしい…。)

CA330160.JPG

正直、2時間程度では収まりきらない内容だったため、
ほとんど理解できずに終わってしまった。
是非じっくりとやりたかったが、もし今回のような学会での紹介であれば、
いじらせる値を一部に限るとか、フェーズが3回も短く区切られていたが、
2回とか1回にして、じっくりやってもらったほうがよかったのではなかろうか。

しかもこのセッションというかシミュレーションは、
もともと明確な目的があるわけではなく、
国にとっての利益はなんぞやってところから考えて、
国内外で交渉していかねばならないものらしい。
そりゃ、むりだよいきなりはね。

しかし、長期的に腰をすえてやればかなり面白いものだとは思った。
学習ゲーム一般に言えることだが、
ゲーム参加する人以上に、ゲーム自体や
ゲームを使った授業やセッションのデザインを行う人が
誰よりも学ぶことができるのだと思う。

そういう意味で、このGSGのプログラムは興味深いプロジェクトだとは思う。


この後に、別のゼミの教授が、
第二次世界大戦後の欧州のゴタゴタを、
史実に則った国際関係をシミュレートするゲーミングをやっていた。
これには加わらなかったので正直分かりません…。
CA330162.JPG

CA330161.JPG

写真を見ると楽しそうです。


そして二日目は、稲田依子(仏国立高等電信)加藤文俊先生(慶応)・斎藤卓也(慶応)・長岡健(産能)(敬称略)のセッションを見た。

このセッションで一番の話題となったのは、
auでサービスが提供されている、Mogiというサービス。
GPS・宝探し・SNS?といったキーワードが関係してくる、
リアル空間でのアクションが携帯のゲーム画面に反映されるアソビ。

フランス人が作ったサービスだが、
このサービスを実施できるインフラがフランスには整っていなかったため、
(GPS携帯が日本ほど普及していない)
日本からのサービス開始となったらしい。
稲田氏をはじめMogiについて研究するフランスの研究者は、
日本に時折きて参加者にインタビューをするなどして研究を進めているそう。

他にも似たサービスはあるらしいが、Mogiにはあるタイムリリース的な要素
(お昼や夜しかゲットできないアイテムがあることなど)が、
ないなど、この手のサービスではMogiが一番人気らしい。

そういえば、ポケモンなんかもとある場所でしかゲットできないポケモンが
いるとかいないとかって言う話を聞いたような…。

オリエンテーリング大好き人間としてはとても気になるので、
ちょっと要ちぇき。


そして、我らが加藤先生や卓ちん、さらに長岡先生の発表を。
先生と卓ちんは、フィールドワークを通しての街づくりについて。
長岡先生は、フィールドワーク入門 feat ビデオ作成。

加藤先生はいみじくもこのようなことを発していました、
ポッドウォークを使っての社会調査は、新たなフィールドワーク手法の一つであると。
しかし、たしかに興味深い調査ではあるが、
やっていつことは今までとなんら変わりない、という発言をした先生もいた。

それはどうだろうか?
「やり方が同じ」という話をしてしまったら、
今後社会調査やフィールドワークなどできなくなってしまうではないか。

わたしは、この新しい調査手法の模索は大事だと感じた。
フィールドワークは、調査対象といかにうまく近づくかがネックではないか?
加藤先生が行っている調査(ポッドウォーク/モバイル機器を活用した"まち歩き"のデザイン)には、「人」が常に中心にいる。

人から得たものは、またその人へフィードバックされ、
さらにその人を取り巻く人へも波及していく。
これは、セッションの質疑でもでた「まちづくり」という言葉へとつながっていくのだが、
直接的には先生や卓ちん達の活動は「ひとづくり」(人と人との関係作り)が、
メインなのかなと。

第三者である調査者がとある土地に上手に入り込むことで、
そこに新たなコミュニケーションが生まれ、活気が生まれて街が潤う。

調査結果として得られたデータがどのようなものであれ、
その調査の過程で獲得できたものはデータとしては、
計り知れないほど大きいのではないかと思う。

これこそがフィールドワークの醍醐味なのかなと。


■■■

以上まとまりのない報告でしたが、来週には京都の紅葉は見ごろを迎えます。

投稿者 joypod : 2006年11月16日 01:37

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